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2018-04-14

向井理依子先生インタビュー

日本人では数少ない額装職人のフランス国家資格を持つ、向井理依子先生。

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4月20日には、毎年大人気の「フランス額装ワークショップ」を開いてくださり、またそれと同時(4/20〜22)に開催される「都画廊のガレージセール」では、colléの前身である都画廊の大量の在庫の中からのセレクションを担当してくださるなど、colléとも縁の深い向井先生にインタビューさせていただきました(※「collé Do?」11号より転載)。
「額装家」という、あまり聞き馴染みのない世界に飛び込まれた向井先生のお話し。ぜひお読みください。

額装家を選んだ理由

向井:学生時代から、アートは好きでしたが、自分が作家になれるとは全然思わなかった。学校も理系を専攻し、システムエンジニアになりました。手に職をつけたかったんですね。
会社も楽しかったし、仕事は充実していましたが、5年くらい働いた時に、「ワタシこのままでいいのかな?」と。それから、仕事について深く考えて、昔から憧れていたアートの世界で生きたい、作家にはなれなくてもサポートする仕事ならできるかもしれない、と思って、いろいろ検討しました。その中でも、やっぱりモノづくりがしたいということで、額装という仕事に行き着きました。
でも、額装と思い定めても、どうやってなったらいいか全然分からない。それで最初、額縁店や職人の方に、片っ端からメールを出したり、お手紙を書いたりしてました。
CD:すごいバイタリティ!でも手紙って、具体的にどういう内容なんですか?
向井:「どうやったら、額装の仕事ができますか?って」(笑)。
CD:返事は来たんですか?
向井:何人かの方はお返事をくださいました。その中の一つに、全国額縁組合連合会の会長さんがいて、その方のサポートもあって、連合会の資格を取ることができました。今思えば、経験もないのに資格だけ取っても意味ないんですが、当時は額装という世界の扉を開くために必死でしたね。

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パリまでの長い道のり

CD:そして、フランスへ?
向井:いや、まだまだ(笑)。資格取得と並行して、学校を探し始めたんですが、私が求める学校はフランスにしかなかった。でもフランス語もできないし、仕事を辞めて2〜3年外国で暮らすのも怖くて、悩んでいました。
そのうち、東京のフランス額装家の方を見つけて、やっぱり手紙を書いたんです。そうしたら、関西に弟子がいるから、行ってみたら?とお返事をくださって、そこで基本を1年学びました。それから仕事を辞めて渡仏。
はじめは、とにかくフランス語ができなきゃ話にならないと思って、リヨンの語学学校に。ホームステイ先のマダムが、いい意味で厳しい人で、私の目的を聞いたら毎晩食事の度に「今日は夢のためにどんな活動をしたか」と質問されるんです。それに応えなきゃいけないから、電話帳で額装店の住所を探して足を運びました。それでやっと一軒の額装店でスタージュ(無給の労働研修)ができるようになって、同時に市の公民館でやってる教室にも行くようになりました。
そうしたら、そこの先生が「プロになりたいのなら、お金はいいから、他のクラスにも来なさい」と言ってくれて、いろいろ通いました。
リヨンには結局8カ月ほどいて、いよいよパリの職業訓練校に通いました。そこは本当に職人になるための学校で、みっちり半年。その間に額装職人の国家資格があるのを知って、チャレンジしました。
ところが、私にとって鬼門だと思っていた筆記は受かったのに、実技で落ちた。後で分かったんですが、国家試験対策に特化した学校があって、そこに通わないと合格は難しいらしい。そこで、試験対策の学校に、もう1年通うことにしました。
CD:額装の仕事が大変というのは分かりますが、日本で1年、リヨンで8カ月、パリの職業訓練校で半年、そしてまた試験対策の学校で1年。しかもその間スタージュもあるんですよね?そんなに何を学ぶんですか?
向井:デザインや美術史も学びますが、とにかく徹底的に技術訓練をやり続けます。例えば、直線・曲線を描く、カッターを自在に使いこなせるようになるとかですね。国家資格もその延長線上にあって、試験対策というのも予想される課題をやり続けて技術を高めるんです。

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額装家として大切なこと

CD:国家資格を取得後、帰国?
向井:そうです。帰国してすぐに額装会社に勤めることができて、4年働きました。
社長夫婦とスタッフ二名の小さな会社でしたが、そこでの経験は大きかったです。お客様がインテリアコーディネーターで、額の中に入る作品もこちらから提案するスタイル。空間全体の中で、どんな作品をどう額装すれば良いか考えるので、とても勉強になりました、それに日本での額縁メーカーや、流通の仕組みが分かったのも大きい。でもそれだけじゃなく、そのご夫婦は、額装業界全体のことも考えながら、真摯に会社を経営されていて、そういった姿勢にも学ばせていただきました。
CD:そして独立された。
向井:会社の皆さんが応援してくださってスムーズに独立できました。最初は教室がメイン。帰国後、毎年開いてきた個展で、私に習いたいと言ってくださる人も、少しずつ増えていましたし、なんとかここまでやって来れました。
CD:お話しを伺ってると、アートに対する情熱がありながらも、それだけじゃなく、冷静に道筋を描いて、情報も集めて、そして素晴らしい出会いにも恵まれて、キャリアを重ねて来られたことが良く分かります。システムエンジニア時代も含めて、回り道に見えてもムダなことは全然なかったように…。
向井:そうですね。額装を仕事にすると、一番大事なのは、お客様の希望をカタチにすることなんですね。技術は日々努力すればできるようになる。デザインも経験で上達します。でもお客様と向き合って、その方の好みや求めるものを理解するのは、そういう姿勢がないと難しい。その意味では、社会人経験はムダではなかったし、私がアーティスト志向でなかったのも良かったですね。私見ですが、アーティスト志向の人は、額装家に向かないと思います。どうしても自分の思い入れやセンスが強くなってしまうので。私はパリ時代から、練習でつくる時に、自分の好みではない作品にも挑戦することにしていました。プロになった時に、そういう機会が多いに違いないと思っていたので。
CD:つくられる作品はアートそのものなのに、アーティストとは異なる資質が必要ということなんですね。額装家という仕事が良く分かりました。今日はありがとうございました。

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写真は、向井先生のアトリエ兼ショールームで。
壁一面のサンプルが印象的。「パリの額縁店には、必ずこれぐらいのサンプルがあります。私が日本で最初に勤めた会社にもありましたが、日本のお店にはあまりないですよね。売れ筋のサンプルだけあって、あとはカタログ。でも私は本物のサンプルからお客様に選んでいただきたいので、できるだけたくさんのサンプルを取り揃えるようにしています」。