blog
稲場信也インタビュー
連日ご紹介している、collé6周年企画、「稲場信也展-Sinya Inaba Exhibition-」。
この展覧会のために、アーティスト稲場信也さんがインタビューに答えてくださいました。
colle do?増刊号に掲載したその特別インタビューを、本日のブログに転載します。
ちょっと長文ですが、「放浪のアーティスト」稲場さんの歴史、
そして創作のバックボーンに迫るインタビュー、ぜひお読みください。
ラテンアメリカに学ぶ
CD:アートを志したきっかけを教えてください。
稲場:大学生の時、米国のウィラメット大学に留学。専攻を選ぶ時、アートも選択できた。絵を学んだ経験はなかったのですが、「他にもそんな人いっぱいいるし、大丈夫だよ」と。なので、軽い気持ちで専攻したのですが、芸術に情熱を燃やす人たちが集まって制作をしている雰囲気が魅力的で、どんどん自分ものめり込んでいきました。
CD:大学卒業後、メキシコやキューバの美術学校に行かれていますね?なぜラテンアメリカの国に?
稲場:留学中、メキシコ人の友人ができて、彼の実家に遊びに行ったりして、メキシコが好きになりました。それで、Instituto Allende(以下IA)というメキシコの美術学校に3年間籍を置きました。IAのあるサンミゲルデアジェンデという田舎町は、世界中からアーティストが集まるコミュニティなんです。
毎週のように、何かしらの展示があったり、オープニングパーティがあって、アーティストが集まる。その雰囲気がたまらなく刺激的で、今でも機会があれば足を運んで、3ヶ月ほど滞在しています。
キューバの美術学校は、IAの夏休みを利用して、短期で行きました。
当時はまだ米国とキューバの国交はなかったですが、メキシコからだと行きやすかったんです。
CD:その次はニューヨークで、大きな出会いがあったそうですね。
稲場:ニューヨークの美術学校で、現代美術のニール・テトコウスキーと出会いました。
ニールは日本に関心があって、金沢を訪れたこともあったそうです。そんな縁もあって、自分のスタジオでアシスタントしないか?と声をかけてくれました。当時彼は国連のプロジェクトで、世界中の国から土を集めて、ひとつの作品をつくるという仕事を引き受けていました。とても素晴らしい現場を目の当たりにすることができたし、彼の仕事に打ち込む姿からもさまざまなことを教えてもらいました。
テトコウスキーと国連プロジェクトの作品
イタリアでの出会い
CD:その次はイタリアですね。そこでも凄い出会いがあったとか?
稲場:ニューヨークで、イタリアのデルータ焼きを見て、独特のカタチに興味を持ちました。ぜひ見てみたい、と夏休みに1週間の予定で渡航。イタリアの夏は暑くて、ジェラート屋で涼んでいると、一人の中年イタリア人が「日本人か?なぜこんな所にいる?」と声をかけてくれた。
「デルータ焼きを見に来た」と答えると、「俺は工房を持ってる、ぜひ見に来い」と誘ってくれました。
工房に行くと、そこには何とマドンナが若き日のレディガガを連れて、作陶をしていました。聞くと、僕に声をかけてくれたマウロとマドンナが友達で、彼女はオフになると、リフレッシュのために来ていたそうです。せっかくなので、一緒に作陶しながら少しお話しもしました。マドンナは中南米のアートにも詳しくて「〇〇の作品を知ってるか?」など、結構話も弾みました。
デルータでは、さらに面白い出会いがありました。ある洋服屋に行くと、絵が飾ってあって、それをじっと見ていたらまた中年イタリア人が「君は絵が好きなのかい?」と声をかけてくれて、そこから色いろ話をしていると、「近所に有名な画家がいるけど、会ってみるか?」と。
彼が電話をかけると、その画家という人が車で迎えに来てくれたんですが、それがフランコ・ベナンティという、イタリアでは勲章をもらうような国民的画家でした。話をしているうちに意気投合し、結局彼のアトリエで1年間学ばせてもらうことになりました。
絵画制作をするベナンティ
創作の秘密
稲場:その後、ロンドンで1年ぐらい制作をしながら、いろんな国に旅をしたりしていましたが、2006年に金沢に戻ってアトリエを開きました。
CD:日本を離れて15〜6年ぶりぐらいですね。長い海外生活の中で、創作への影響というのは、どのように感じてらっしゃいますか?
稲場:あるのは間違いないのですが、具体的に言葉にはできないですね。
敢えて言うならば、風土の違いは表現に出ると思います。メキシコの太陽が生む陰影と、イタリアの陽射しが映す色彩、金沢の光が包む風景、記憶の中にあるそれぞれの映像は、作品の中にも自然に現れていると思います。
CD:絵画、版画、陶芸、掛軸…時期ごとに画材を変えたり、技法を変えたり、本当に作品の幅が多岐に渡っていますが、どういう狙いがあるのでしょう?
稲場:狙いがあるというよりは、気のむくままに、その時興味を持った画材やテーマに取り組んでいます。一つのことを続けると、どうしても似た感じになってしまって、つまらなくなってしまう。だから一つのシリーズで20作ぐらいつくったら、パッと違うことを始めます。
CD:気のむくまま…とは言っても、次つぎと新しいことに挑むのは、言葉ほど簡単ではないと思います。きっと多彩なバックボーンが、多様な表現の源なのでしょうね。本日はありがとうございました。